レンガ敷遺構~金山彦神社【多田銀山】からの続きです。
これまでの流れ
多田銀山に到着→悠久広場でレンガ遺構を見る→金山彦神社に立ち寄る→坑道跡地青木間歩へと向かう(←今ココ)
青木間歩に入る
青木間歩の解説板。
名前の由来は薬用植物アオキがたくさん生えていたからこう名付けられたのでは?とのこと。
わりと最近まで使われていた坑道みたいです。
さて、我これより参る..。
頭上に注意。
天井がけっこう低いのでチェホンマンとか絶対無理!
その昔々、月風魔伝というFCゲームがあってだな..。
いや、どっちかつうとウィザードリィか。
サラリと怖いことが書かれてますね。
これより先は魔物生息地帯。
一般人の侵入が禁じられている魔界である。
何時間も彷徨った末、ようやく出口を発見。
やーっと出られたー!(←嘘。実際は2~3分ていどのものです)。
ん、階段??
登ってみたらこちらにも坑道跡がありました。
年代については特定できず、ノミやタガネを使って彫った手掘り坑道跡とのことです。
~
ここでいったん青木間歩についての感想を述べておきましょう。
青木間歩は距離にしておおよそ50mくらいの小規模なものでした。
写真とか撮ってたので5分位いましたが、ただ往復するだけなら1〜2分くらいで見てまわれます。
そんな短い距離の青木間歩でしたが、奥に行けば行くほど早く出なければ..と囃し立てられるような気持ちになったのはちょっとした不思議体験です。
もちろん奥にナニモノかが潜んでいる..ということはないと思いますが、人を不安にさせる「陰の気」めいたものは漂ってるのかも?しれません。
閉所恐怖症の人は要注意です。
台所間歩・瓢箪間歩を目指す
さて、次なる目的地を目指して再び歩き始めます。
次は台所間歩と瓢箪間歩です。
ナニアレ?
水抜きのための穴だそうです。
分かれ道。ここは右。
そして左。
以前、ここを右に行ったら変な田んぼ道に出てえらい難儀した。
工場の横道を突き進むと多田銀山大露頭というちょっとした景観スポットに到着します。
多田銀山大露頭は町指定の天然記念物に指定されてるとかでけっこう珍しいものだそうです。
天然記念物!
と言われても素人目にはゴツゴツした岩場にしか見えませんでした。
大路頭からすぐ隣といっていい場所に「台所間歩」と呼ばれる坑道跡がありました。
台所間歩は調理場というわけではなく、豊臣秀吉が開坑した間歩で大阪城の金庫(台所)を潤す程の銀や銅が採掘されたことからこう名付けられたそうです。
考えようによってはここが豊臣秀吉の埋蔵金伝説にもっとも関係が深い場所といえるんじゃないでしょうか?
ちなみに侵入は不可です。
なんか陰鬱としてるなぁ。
瓢箪間歩に到着。
こちらも残念ながら中には入れません。
名前の由来がわかっておらず、豊臣秀吉が馬印を掲げることを許したほどの銀銅の産出があった場所とのことです。
堅牢な柵が設けられており、中から時おり奇妙な音が聞こえてきました。いや、本当に。
しゅわしゃわぅう…みたいな音です。
なんだったんだろう?
今回の散策の最終スポット「廃屋」。
かつてここに来た時は不法投棄置き場みたいになってました。
しかし今ではスッカリ綺麗に整備されています。
うん、これなら人も住めそうだ(←え?)
と、思っていたらやっぱり粗大ゴミが放置されてた。
アカンガナ!!
まあそういうわけで、多田銀山散策はこれでおおむね終わりです。
この後は粛々と帰るわけですが、悠久の館や少し立ち寄ったところもあるのでそちらも紹介しておくこととします。
続く!
コメント
はじめまして。
以前(といっても多田銀山の訪問はそのときの一回だけですが)通りがかりのこの骨董屋さんの店先に、中古品を持ち込んで買取交渉をしているところに出くわしました。ご店主のほうは、値段が合わないのか、あまり乗り気ではなさそうでしたが、果たして商談は成立したのでしょうか?
コメントありがとうございます。
以前、引越し関係の人から聞いた話ですが、故人となった家屋から大量に古物を格安で引き取り、それを手当たり次第目利きのいる骨董品屋を巡っては利ざやを稼ぐという業者がいるそうです。
その持ち込んだ人が業者かどうかはわかりませんが、店主が買いたがらないということは、あまり価値はないモノだったのかもしれませんね。