ここ多田銀山は多分3~4年くらい前に訪れた場所です。
特に目的をもってやってきたわけではなく、当時は時間を持て余したので近場をウロウロする..というのが日常でした。
それは今もあまり変わりはないのですが、当時は今以上にウロウロしていまして、あてどなくウロついてたらたまたま多田銀山にまで辿りついたというわけです。
※当時撮った写真の原版画質が悪過ぎたので新たに取り直してきました。(2016/4)
兵庫県多田銀山の概要まとめ
・兵庫県川辺郡、猪名川町から大阪府の池田市の広範囲にわたって坑道が開掘されてきた銀山の総称
・天平時代、銅山として開発
・天正年間、銀を産出、以後豊臣秀吉の直轄領に
・寛文年間、銀山に代官所が設置される。このころ年間の産出高が、銀1,500貫(約5.6トン)、銅70万斤(約420トン)に達して最盛期を迎える
・その後、徐々に衰退し明治時代に三菱が稼行、昭和19年に日本鉱業が買収し操業を続けたのち、昭和48年に閉山され現在に至る
多田銀山手前にて。
今回の目的は心霊体験(←多田銀山は心霊スポットとしても少し有名だったりする)ではありません。
あくまでハイキングが目的!
って、男ひとりでハイキングっていうのも寂しい気がしないでもないですね。
ま、どうでもいいか。
看板によると坑道跡地まで片道大体3キロ程。
歩くには丁度良い距離です。
ん?なんだあれ??
ナニコレ?
場所は悠久の館という多田銀山記念館?前にあった広場。
スペースハリアー(30歳以上の人なら多分知ってる)に出てきそうなレンガ造りの建造物がありました。
レンガ造りの正体はレンガ敷遺構の復元跡だそうです。
ちなみにこちらが悠久の館。
立ち寄るのは帰りにします。
案内板。
さあて、楽しく散策するとしますか!
!!?
橋を越えるとなんだか薄気味悪い廃屋がドンッと建ち構えてました。
見事なまでにボロ!
人が住まなくなった旧民家の成れの果て..といったところでしょうか?
家賃1000円でもここに住むのはゴメンですね。
銀山代官所の門。
元々あったわけではなく移しかえて保存したものだそうです。
銀山の歴史が書かれた看板。
…かいつまんで解説すると、多田銀山の歴史は奈良時代から始まり、1570年に豊臣秀吉によって開発され全盛期を迎えた。
そして代々所轄が代わり開発は続けられてきたものの明治41年に日露戦争の影響で一時休山。昭和19年に昭和鉱業が買収して以来、昭和48年まで操業があったものの現在は完全に休山状態とのこと。
ほぇ~って感じ。
坑道跡地へ向かう途中にあった金山彦神社。
金山彦神社はこじんまりとした神社でしたがその歴史はかなり古く平安時代(807年)に遡ります。
多田銀山採掘の歴史と共に誕生した神社なので、採掘作業が行われなくなった今では訪れる人も少なくなり、ひっそりと佇んでいる感じです。
そんなこんなで目的であった坑道跡地青木間歩に到着。
手掘の旧坑道跡地「青木間歩」。
この青木間歩こそ多田銀山散策のメインスポットの一つで、一般客が坑道の中を自由に出入りすることが許可されている唯一の坑道跡となります。
ちなみに、間歩(まぶ)とは昔の坑道の呼び名のこと。
読んで字のとおり岩を削り狭い隙間を掘り進んでいったことに由来するそうです。
入場料:無料
時間:午前9時から午後5時まで
さてさて中はどんなもんでしょうか?
おら、ワクワクしてきたぞ!!
続く